東西の聖なる日々の狭間にて
 



     3



こちらは符丁を受け取った側を追跡した谷崎さん。
編み物一式を入れたトートバッグを肩から提げて、
すたすたと歩み続ける標的を見落とすことなくさりげなく追う。
人の通りが多い此処ではまだ早いが、さりとていかにも閑散とした場所ではわざとらしい。

 【 そろそろいいんじゃない?】
 「はい。」

太宰からの合図に合わせ、そうは見えぬよう軽く念じれば、
一瞬 周囲が淡く光って、
巻きスカートに暖かそうなポンチョ型の外套を羽織った女性がふと立ち止まる。
すたすたと歩みを止めないPコート姿の人物はそのままどんどん進んでゆくが、
ふと、衣嚢へ手を入れかかり、そのまま“誰かの手”を掴み上げてしまったものだから、

 「…っ!」

まずは誰にも気づかれやしなかろう、異能の“細雪”によるカモフラージュをまとい、
こそりと近づいたまま掠め取ろうとした谷崎さんがハッとする。
威張るつもりはないけれど、こういう策は結構こなしていて、
無造作に手を突っ込んだわけじゃあない、気づかれないようという小細工として、
反対側の肩へICレコーダを近づけて、不意打ちでアブの羽音を聞かせる工夫もした。
ハチの羽音よりも濃いそれを聞けば、
大概の人はハチが飛んで来たものと勘違いし、本能的にそちらを警戒もて見やるもの。
刺されたら痛いという知識との連鎖反射が働くからで、
その一瞬の隙を突いたはずなのに、
この人物はさして焦ることも無いまま、
平たくしたままという工夫を凝らし、それはさりげなくすべり込んで来かけた
幻夢攪乱の使い手さんの手をやすやすと捕まえている。
気配を察してというのなら、
異能を発動したと同時、足早に歩み寄って間を詰めた気配をまずは拾っていようもの。
自分への刺客かと警戒し、且つ捕らえてやらんと構えたか?

 「あ…の?」

それにしては、捕まえ方に険がない。
そのまま捩じ上げるでなし、
掴みようにも痛さはなくての むしろ気遣われているような。
悪戯っ子の手を掴んだだけだというような、いやいや、
捕まえたはいいがどうしてほしいと問いたいか、
無表情なまま こちらをじいと見やって来るばかりであり。

 “…それはそれで怖いんですけど。”

もしかしてこの人も異能者で、こっちの手を読んでたのかなぁ。
それにしたってどうするか決めてくれないとこっちも困ると、
そこは東のヘタレっぷりが何でか顔を出したらしく、

 「…振り払って逃げてもいいのだぞ?」
 「……あ。」

ああ、そうかその手があったかなんて。
他でもない相手から言われて得心している辺りへ、
そちらは堪え切れなんだか、プフフと小さく噴き出す気配が間近で弾ける。
妙なにらめっこ状態だった二人が見やった先、
彼女もまた“細雪”でカモフラージュされていた存在が 口許へゆるく握った拳を当てていて。

 「谷崎くん、このまま向こうの路地へ入って。」
 「あ、はい。」

このままというのは異能を解かぬままという意味だろう。
細雪の紡ぐ幻視の外では、谷崎女史は元の位置に立ってるままだし、
この人物もまた遮られることの無いまますたすたと歩み去っており、
無論、そこも作戦のうちだったので太宰が近づいた痕跡も投影されてはない。
後からここいらの防犯カメラを確かめたとて、そんな事実は拾えなかろう。
掏摸行為でも咎められているものか、手首辺りを掴まれている格好、
なのに、何故だかそんな側の仲間が先んじて歩み出したのへ誘導された人物は、
相変わらずに掴みどころのない無表情なままであり。
此処までならわざわざ覗き込まねば表通りからは見えなかろという辺りまで進んで、

 「さて。そろそろ離してやってくれまいか。」

絵に描いたようなという描写が相応しい、
何かのお手本のような朗らかさで笑った太宰がそうと口にした。
ちょっと待ってくださいな、この人は問題の取り引きに関わってる組織の人ですよね。
ということは裏社会の組織に籍置く怪しい人で、
ずっと読めない貌でいたのも、こうやってこっちの意のままに動いてくれたのも、
何か腹積もりがあってのことなんじゃないですか?
そんな、そういう人ならいかにも怪しいと見抜かれそうな
満面の笑みなんか振り向けないでくださいようと、
どっちが誰から嚇かされているものか、
グダグダな現状へもう堪忍してと言わんばかりになっている谷崎さんだったものの、

 「ああ。すまなかった。」

案外というか、またしても不審も無さげに、
むしろ気が付かなくて済まないと言いたげに、
此処で初めてその表情を微妙に動かした相手は、
赤毛の短髪を覆うニット帽に大きめの偏光眼鏡といういでたちで、
しかも結構上背もあったものだから、てっきり男性かと思ってたらば、

 “じょ、女性?”

掴まれてた手も何だか堅いというか大きかったし、
衒いなくこっちを見やって来たお顔があまりに無表情すぎて、
威圧はなかったけど堂に入ってたというかで。
ヘタレ要素が滲み出したか、
それなりに心得のあろう男の人だと思ってました、という色々が噴出したその結果、

 「す、すみませんっ。」
 「? いや、用があってのことなんだろう?」

勢いよく頭を下げている谷崎さんも谷崎さんなら、
何で謝られているのか通じてないらしいのか、ただただキョトンとしているお相手で。
そんな二人双方の心情がただ一人判っておいでなその上で、

 「結構 重要な仕事中だろうに、この状況下でその反応はおかしいのではないか?」

砂色の長外套の背まではあろうくせっ毛を、
いかにも女性らしい丸みも艶めかしい肩ごと ふるふる揺らすほどに
ただただ可笑しいと自分の腹あたりを抱きしめるよにして笑いつつ、
依然として怯えつつという後輩と、
何が何やらまだ判ってない正体不明なままの女性とに見やられておったそうな。









 『私にも意外な人物の御登場だが、大丈夫、』

確かにこたびの作戦上のキーマンで、
この人からメモリフラッシュを奪ったその上で内容を盗み取って返さにゃならぬが。

  __ そうである前に、私の知り合いなのだよ、

だから作戦的に破綻はないと、
ひとしきり笑ったのち、まだどこか不安そうにしていた谷崎嬢を先に帰した太宰さん。
時々不安げに振り返る小心者な後輩ちゃんをいつまでも手を振って見送っての さて。

 「………お。ありがとう。」

紙巻を口許に咥えたまま、服のあちこちをまさぐって何か探しているようだった彼女へ、
外套の内ポケットから取り出した、小さいが一応は100円ではないライターで火を点けてやれば、
慣れた様子で会釈し、穂先へ火を灯すところが何とも雄々しいというか様になっており。
最初の一息をふうと吐き出したの見守ってから、

 「まさか、異能特務課まで関わってようとはね。」

確かに軍警とのパイプ役として内務省直下の異能特務課がかかわるケースも多いけど、
それはあくまでも “異能”という公認されてはない要素が絡むときのみ。
今回のこれはそこまで複雑な手合いでなしということで、
軍警からほぼ直接という格好で依頼を受けたものだったのであり。
だってのに 何でまた特務課の人間が噛んでいるのかと、そこが意外だったらしい太宰であり。
しかも、

 「キミ、南米の方へ飛ばされてなかった? 織田作。」

あんまりこのご当地で健在っぷりを晒しちゃあいけない身じゃあなかったっけ?と、
苦笑とも懐かしいという愛着とも取れそうな、微妙な感情を綯交ぜにしたような顔をする。
探偵社であの乱歩さんと並ぼう智謀を操る智将にして、
時に現場へ自身も身を投じ、徹底抗戦も辞さぬという粘り腰の戦いぶりも見せる
元はポートマフィアの幹部であるという女傑だが。
そんな太宰がヨコハマ最強、何となれば…舵取りにさえ注意を怠らねば、
あの『三社構想』の下にて世の安寧を支えることも出来ただろう一角の、
その根幹を支える組織を牛耳る身にだってなれたものを、
そんな立場をかなぐり捨てて、その身をすっかり洗浄したのち、
武装探偵社に平社員として入社をし直したのは、

  この織田作之助が、
  当時はまだ一介の裏組織だったポートマフィアへ、
  政府筋にだけはその立場を保証されよう『異能許可証』を授けるための
  狡猾な画策の贄にされて殺されかけたから。

名うての狙撃手だったものが、人の生き様を綴るよな小説を書きたいとし、
ならば人を殺める身であってはならないのではと、
それは頑迷に“殺人”という仕事から手を引いた。
それで石もて追われる立場となっても構わぬとする彼女へ、
新しく首領の座についた鴎外は、特に咎めはしないままでいたものの、
そんな彼女の予見の異能“天衣無縫”を利用しようという策謀を腹の底では固めており。
最下級構成員として雑用に奔走する彼女へ珍しい人よと懐いた太宰は、
人としてのしっかとした素地があってこそ、
飄々としていて天然なところを好もしいと思っていたのだが、
何とも巧緻な策謀に巻き込まれた彼女を救えなかった自分やどこまでも醜い裏社会に嫌気が差し、
鴎外の後継者と目されていた“居場所”を蹴り飛ばし、あっさり逐電したわけで。

 「安吾にいいように使われてない?」
 「それはないな。今回はビザの書き換えで戻ってるだけだし。」

そのついでに、今時の連中には顔が割れてないのだから、
今回の取り引きの詳細を見守ってほしいと言われただけだと、
淡々と語る姉貴分が、ふと、

 「…太宰?」

その声を途切らせたのは。
何時だって大人ぶって、それこそ怖い者などありはしないなんて飄々としていた妹分が、
今だって誰へもそんな顔ばかり通しているくせに、
らしくもなく俯くと、間近まで寄って来たそのまま、
こちらのちょっと高い肩口へ額を乗っけて凭れかかって来たからで。

 「…どうした。疲れたか。」
 「……そんな訊き方されたら、違うとしか言えないじゃないの。」

そうかなぁと、小首をかしげる彼女が、
心の底から腹の底からそう思ってるのは判っている。
違うとしか言えない自分が、要らない見栄やら何やらで突っ張ってるだけなのも判ってる。
ああでも、そうでいなけりゃ居られなかったんだもの、
そうでなけりゃ孤高のまま平気な顔していられなかったんだもの。
そのままで成長してない私はまだ子供なんだろうか、どう思う?織田作と、
声には出さずに視線を向ければ、

 「…飯でも食いに行くか?」
 「………うん。」

 栄輝楼の蓮の実チャーハン食べたい。
 高くないかあそこ。
 いいじゃないか、久し振りに会ったのだし。
 ……ああ。
 あ、勿論奢ってね。極秘捜査員って高給取りなのでしょう?

その前に、仕事はどうした。
あ、いっけない…と、
素で忘れていたらしい誰か様、
問題のメモリを渡され、それをスキャニングしてデータを抜くと、
てへぺろと愛らしく笑ったそうでございます。
女史を知ってる人がうっかり見たならば、何人かその場で凍ったかもしれません。
そんな物騒な事象さえ起こる、魔都ヨコハマの年の瀬の一景でございました。





     〜 Fine 〜    18.12.27.

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 *姪っ子がそれはそれは大きな胡蝶蘭の鉢植えを持って帰りました。
  勤務先が新装開店したそうでお祝いにって幾つも届いたらしく、
  とはいえ、これからが書き入れ時なので(それもあっての改装) 少々邪魔だったらしく、
  持って帰っていいよと押し付けられたらしい。
  綺麗ですが一般家庭の何処に置きゃあいいのかというミスマッチで、
  まさしく三畳一間に太宰さんが来たようなもの。
  (そのココロは、綺麗だけどデカすぎて邪魔。) 笑

  それはともかく。
  クリスマスと年の瀬の狭間篇です。
  なんかなし崩しな締め方ですいません。仕事が詰んで来ましたもので。
  あ、こないだの話に引き続いて芥川くん出て来なかったよ、しまった、済まん。
  その代わりにというか、前にリクエストがあった女性版の織田作さん登場です。
  あの点も少しほどずれていて、女護ヶ島の方では亡くなってません。
  安吾さん、いい仕事したらしいです。

  「でも、滅多に会えないのだから やっぱりちょっと憎らしい。」
  「そんなこと言われても。」
  「太宰が逢いに来るのは無理なのか?」
  「…えっとおぉ、」
  「もしかして殺意丸出しの誰かさんが付いてくかもしれないなぁ。」
  「それって やつがれのことでしょうか、ちゅうやさんa.gif
  「わあ、全部ひらがな。ところでその人って誰さんですか?」
  「人虎には関係ない。黙ってろ。」
  「ひっどぉ〜〜〜いっ。」

  収拾がつかないのでここまで。